暗殺教室1〜5巻読んだ
元々タイムリーで読んでいた作品である。恐らく開くことすら年単位振りだ。
なら何故久しぶりに開くことになったのか。
自分への尻叩きである。
コロナ自粛期間が解ける寸前になって焦るのだ。この期間中、自分何していたんだと。精々本一冊作った程度である。作った後はまぁここに書くのを躊躇うほどに自堕落に過ごし、首が頭の血管が悲鳴を上げても尚映画見てpixiv巡回して。いやお前やりたいことあるんちゃうかと脳内で自分に頬を引っ叩かれるが、所詮脳内なので痛くない。
しかし東雲には分かっていた。絶対休み明けにそれが致命傷になると。
分かっていたというか経験から予測できるほぼ確定した未来である。
が、私は愚かなので分かっていてもやらない。というかそれが出来るならそんな傷負わない。
そういう時に効果が期待出来るのが、暗殺教室やハイキューといった作品である。効く可能性は50%程だが、こういう自主的に人として成長する子たちが出てくる作品は東雲の「今のままでいいんか?」という不安を刺激し、よっこらせと腰を上げさせてくれる。
ただこれ、作品がとんでもなく面白いので下手すると全巻読み切るまで腰を落ち着けてしまう可能性もあるため夜中に始めようものなら徹夜を覚悟するしかない。
ただ現在スマホ首とそれからくる肩こりで一時間以上じっと読んでいられない。ストレッチしても焼け石に水程度なもので、もう、ほんと、痛い。読んでられない。不幸中の幸いだろうか。クソが。
さてそんな最終兵器暗殺教室ですが、21巻まで出ているので感想は流石に分けて書くことにしよう。今回は真顔の5巻まで。
かっ烏間先生抱いて〜〜〜〜っっ!!!!!!!!!!
はい。
業君も渚君も浅野理事長もとっても好きなんですが、やっぱりここに落ち着く。きゃーーーっ!私も真っ直ぐ目を見て話してほしいし顎に一発入れて欲しい〜!!!!!
強い「男」がめちゃくちゃ好きなんだよ・・・・・。
肉体的にも勿論だけども。世界が終わるかも知れんって時、本来は鷹岡みたいな教育方針になるのが一般的なのではないかなと思うんだけど、彼は当たり前に「当たり前の中学生活」を守る。上司ににぐちぐち言われようが、理事長に哀れまれようがその主張を取り下げようとはしないんですよ。いや熱いわ〜
ちょっと烏間先生がかっこ良すぎて本能が抑えきれなかったわ・・・。
生徒側の話になるが、世界観が現実に非現実をぶっ込んだものなので、突っ込みどころってのはいくつも出てくる。マッハ20の謎のタコが担任を名乗り、そのタコを来年までに殺さないと地球が滅ぶ。なんて出だし普通はツッコミオンパレードで中々先に進まない。
それなのにしれっと暗殺生活が始まったのは、いくら満ちることも欠けることもない月を見せられても、家族という一番近くにあるもので危険を突きつけられても、頭にはうっすら「なんだかんだ地球は滅ばないんじゃね」と。
なんら変わらず明日が続いていくのではと。
実感ってのはわかない時はわかない。無い感覚は感じようがないからだ。想像には限界がある。だけれど周りの大人たちは真剣そうで、漠然とやらなきゃいけないんだな。って受け入れたのかなぁ。
ぶっちゃけこの巻までで特別に好きって話はない。
いつか別でまとめるが、暗殺教室に限らずそういう感覚が私は乏しい。曰く論理的な恐怖とか自身で直接感じたことのない感情の機微を感じ取れないのだそうだ。言い方を変えると感じられる物が限られている。
この事実に東雲は一週間程枕を濡らしたが無いものは無い。そんな簡単にどうにか出来る問題ではないらしい。
だけれど、もしかしたらどこかのタイミングで感じ取れることがあるかも知れない。
それが漫画読んでる時か仕事している時か寝坊して駅まで自転車かっ飛ばしてる時かはわからない。ぬるぬるした触手を持つエロい先生はいないし、学生ではないし。
でも、彼らが授業の中で、曖昧にしていた物、目を逸らしていたものを見直したようにいつかそこに実感を持てるかもしれない。自分に何が出来るのか。尊ばれるべきものは何か。
それらを、これから暗殺教室で学んでいきたい。