東雲の読書感想文倉庫

東雲が今まで見た映画や本の感想文を思うままに書いてるブログです。たまに感想じゃないのも書く。※感想文である以上ネタバレばかりなので注意※

勉強机とさよならしてきた

 

さよならするに辺り調べてた時知ったのですが、学習机と呼ぶことの方が一般的なんでしょうか。まぁ自分はずっと勉強机と呼んでいたので。

 

見出し通りのことしてきました。世間の大多数はだからどうした、と言いそう。でも自分にとっては明日仕事でも深夜2時ぐらいに書くだけのことなので書きます。消化するために。

自分用に書くので読みにくいと思う。余裕がないから許して。

 

東雲は物が捨てられない。部屋は物で溢れていて「家行くから一緒に片付けんぞ」と友人に言われマジで来て片付けたぐらい捨てられない。部屋を生で見た友人は「おま、ほんとおま・・・・」って言ってた。その節はお世話になりました・・・・。

論理的に考えるよりも先に、とにかく「捨てられない」という感情が頭の中でガンガン主張してきて手が進まない。なんでかと考えようとしたこともあったのだが考えるのが得意じゃなかった(別に今現在得意になったわけではないが今よりマジで考えられなかった)のでご飯でも食べればすぐ忘れた。その方が都合がよかったんだと思う。

 

今回さよならした勉強机は人生の半分以上一緒にいた。ものすごく長い。物自体は多分良い物(流石に値段はわからない)だったのと、そこそこ大事に使っていたので状態は悪くないのだが。どうしたって物は古びるし錆びる。ネジが錆びて取れかけたり引き出しが勝手に開いたり裏を見て気づいたがカビたりしていた。最後の最後に引き出し持ち上げたらキャスター取れたし。

使えるといえば使える。ただし壊れかけているものを無理して使うようなものだ。それと曖昧で申し訳ないが、なんとなく今手放さないとこれからどんどん手放しづらくなってくるんじゃないか、と焦った。

人間でもペットでもない。本革理論で呼吸してるから生きてる!とも思っていない。でもパートナーだと思ってるのだ。

そのパートナーを捨てるってことは友達を切り捨てるような、もっと言うなら殺してしまうような感じがした。今更目についたのだが角やフチが丸く加工されてて、そういう優しさを無碍にするような気がした。まだ子供でいたいと願ってるのに自分からその証の一つを捨ててしまうのかと思った。

 

回収に来てくれるのが明日というか今日なので今さっき弟に頼んで一緒に回収場所まで運んでもらった。

いやだな、天板の部分だけでも再利用できるなこれなら、と思いながら運んだ。耐えられないので弟に「本当は手放したくないんだ」と何度も何度も繰り返した。弟は適当に相槌を打ってくれた。最後に「いやこれは流石にシュールだわ」って言いながら写真も撮った。離れる前にちゃんとお礼した。これを打ち込んでる今も、今ならまだ回収できるなぁという未練が頭の奥の奥でこちらを見てる。体の中がからっぽになった気がする。涙が出てこないのが不思議だな、と自分で思った。使えない程壊れてから手放せば良かったと今日の朝、置いた場所が空いてるのを見たら思うのかな。

理屈がわからないのだけれど、だから今手放さなければいけないんだなと思った。

ので、今日の朝まで目一杯感謝しようと思います。

ここに書いても仕方ないんだけど、本当にありがとうございました。

 

こういうのを卒業って言うのかな。

寂しいなぁ。